「貧乏でも愛があれば幸せ」「貧乏でも健康なら幸せ」 それは本当でしょうか?
最低限生活に必要な「お金」はないと、生活していけるかどうかという不安が常に付きまといます。そう考えればお金はある程度がないと困るということになります。何に幸せを見出すか人それぞれだとは思いますが、最低限のお金が必要であることは少なくとも今の日本においては真実でしょう。
お金の必要性を人生の時間軸で考えると、体が健康で働く意思があれば若い間は貯金など将来に対しての備えはしなくても幸せに生きていけるかもしれません。しかし多くの人にとって年老いた後も仕事ができる環境というのはなかなかないでしょう。その時に最低限の生活を送るだけのお金が必要であることを考えれば、年金制度が破綻するかもしれないことを織り込むと何らかの貯蓄もしくは投資が必要になるはずです 。
ということで、お金について考えていくことはとても重要なことですね。
Bankrateの世論調査によると、退職後の貯蓄をしてこなかったことを後悔しているアメリカ人は19%いるとのこと。老後資金2,000万円問題と併せて考えれば、備えあれば憂いなしということになるのでしょう。自分にできることをを少しずつ加えて読み返してみます。
倹約は大いなる収入である
マルクス・トゥッリウス・キケロ(紀元前1世紀・古代ローマの政治家・文筆家・哲学者)という人が言った言葉らしいのだが、ずいぶん昔から経済に対する考え方はあまり変わってないのかもしれない。今から2000年以上前の人が言ってるんですから。
まぁ一言で言えば「ケチ」ということなのかもしれない。先日読んだ本に「ケチ」とは相手があって初めて成り立つ言葉だと書いてあった。ザックリ言うと、個人的に倹約するのは誰にも迷惑かけないけど、他者のために使うべきお金が使えないのは「ケチ」なのだそうだ。まぁ言われてみればそうかもしれない。しかし、どこまでが使うべきお金なのかの線引きがよくわからない。
どちらかと言うと浪費家のserotonがこの言葉を実践するには、かなりの意識変革が必要かもしれない。我が身に言い聞かせるようにここに残しておきます。
リスクとは、自分が何をやっているかよく理解しないことから生まれる
ウォーレン・エドワード・バフェットと言うアメリカのバークシャー・ハサウェイと言う会社のCEOである超有名な投資家の言葉だそうだ。言葉だけ聞くと、なるほどなぁと思う。だけど何を理解したらリスクが減るのかがわからない。
一生懸命働いて20万円の貯金ができた。これをどうするべきか考えるのはそもそもおかしなことなのだろうか。投資をするにはあまりにも少額すぎるのか。少額でも学ぶことを目標に投資すべきなのか。この時点で、「自分が何をやっているか理解してない」状態に陥っているものと思われる。
少なくとも「自分が何をやっているか理解してない」状態なことがわかっているのだから、下手に動かず、まずはお金の勉強をするべきなのだろう。
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